津田梅子は何した人か簡単にわかりやすく解説|広瀬すず演じた特番も

津田梅子の生涯を、広瀬すずが演じましたが、広瀬すずの演技が上手すぎて、そしてそのストーリーにとても感動して、女性が活躍する事、女性の意識を変えていくことが本当に大切なんだなと思いました。

津田梅子は、2024年から5,000円札になるということで、なぜお札になったのかということも納得できちゃいます。

そんな大きなことをした津田梅子は何した人か簡単に解説していきますね。

スポンサードリンク

 

簡単に言うと

 

  • 津田梅子は日本の女性ではじめての留学生
  • 女性が日本で自立して生きていくための意識改革
  • 女学校を立ち上げた

「日本では男尊女卑である」と言ったことを「女性も自立して女性として活躍できるよう」人生をかけて取り組んだ人です。

6歳から11年間の留学経験により、その行動が始まっています。

当時の日本人女性の地位の低さには驚くしかありませんが、今ではそんなにひどくないので津田梅子の活躍も当然今に繋がっていると言えそうです。とても感謝ですね。

 

津田梅子の留学の理由

11年間留学していた津田梅子は、西洋の良いところを学んできたのですが、日本ではまったく西洋の考えが受け入れられませんでした。

11年間も人生をかけて留学したにも関わらず、「国の思い付きの留学」だったと言われるくらい、軽くあしらわれてしまったのです。

女性だけではなく、男性も西洋へ留学へ行っていた人がいましたが対応がまるで違いました。

男性留学生にはとても良い地位を与え、女性留学生にはまったく何の地位も仕事も与えない。そのようなスタンスです。

今ではさすがに考えられないですが、極端と言えるほどの男女差別が日本にあったことが伺えます。

 

スポンサードリンク

 

国が女性を留学へ出した理由としては、単純に男性だけでなく女性も言っておいた方が体を良いからであり、実際に女性に男性と同じような人権を与えるために留学へ出したわけではないということでもあります。

厳しいですがこれが昔の現実でした。当然、津田梅子のように疑問に持ち女性の社会進出を促した人もいるし、男性でもそれに気づいて手助けしてくれた人もいましたけども、それには非常に長い年月がかかったということです。

 

でも、なんだかんだで日本と言うのは、まだ変わり切れてないのかもしれないですよね。男女平等という部分もそうですし、結婚においても。

ちなみに、恋愛結婚というのは、西洋からきた恋愛方式のようです。

津田梅子の友人の捨松も「西洋では当たり前の恋愛結婚よ」と言いながら結婚をしましたが当然当時は少数派です。

今も恋愛結婚をしている人は沢山いますが、生涯未婚率が過去最高をたたき出してしまうように、恋愛結婚に踏み切れない男女が多いことを考えると昔ながらの日本の考えを受け継いでいる人が多いということも考えらえますね。

 

というか、自由に恋愛していいはずなのに、男性なら、養える気がしないから結婚しないとか、女性なら、女性なのに働いていて家事とかできないから困るみたいな考えがどうしても頭の片隅にあるところあたりで日本らしさを感じます。

 

津田梅子の年表

1864年 誕生
1871年 アメリカ留学
1882年 日本へ帰国
1905年 日本女子塾創立
1929年(64歳)
2024年 5000円札に肖像

スポンサードリンク

広瀬すず演じた津田梅子をストーリ仕立てで

 

伊藤博文の家に住み込みで家庭教師

 

津田梅子の父「家の主が住み込みのものに手を付けるという話はいくらでもあるんだよ」

住み込みで伊藤家の家庭教師をすることに反対する津田梅子の父親です。

男女の間違いがあると思われる噂になってしまったら将来的に梅が結婚できなくなることも心配して住み込みで働くことを反対したのです。

ですが・・・

 

津田梅子(広瀬すず)「留学なんてしなければよかった。日本の考えを可笑しいと思うこともいらだつこともなかった。

友達の結婚に傷つくこともなかった。男性が女性を雑に扱うことにも不思議に思わなかった。国のために自分を責めることもなかった。

・・・これがどれくらい辛いことかわかる?

わからないよねお父さんとお母さんには」

 

 

 

伊藤博文「うめさん、後で私の書斎に来てください」

ところが、日本の教育について伊藤博文にどうしていくべきか意見を聞かれたのです。

 

津田梅子(広瀬すず)「日本の男性と女性は平等ではありません。女性も仕事を持って自立すれば男性と同じ立場で意見を言えることができます。

それは本当の意味で男性の協力者になるということです。女性たちは自分たちの可能性に目覚めます。

教育することが必要です。

私はそういう教育で国に恩返しをしていきたいのです。」

スポンサードリンク

 

留学生の友人・捨松の告白

捨松は、結婚した旦那さんが仕事でヨーロッパへいくことをきっかけに、自分も一緒にヨーロッパで勉強してきてそれを日本に活かすそうとしていましたが、とあることをきっかけに行くことを断りました。

 

津田梅子(広瀬すず)「捨松はヨーロッパ視察に同行しなかったの?

大山さんがいなくなって大変だね??」

 

捨松「その話は断ったわ」

 

津田梅子(広瀬すず)「どうして?ヨーロッパにいけばすてまつのしたい仕事ができたのに。

こんなところで・・・大山さん(捨松の旦那さん)に家を守れと言われたから?

前の奥さんとの子供の教育を頼まれたから?

こんな大きな仕事なのに・・・捨松らしくない」

 

捨松「妊娠したの。愛する人の子よ。」

 

スポンサードリンク

日本への恩返しに悩む梅子

日本の意識を教育で変えようと思ったけど難しいと感じている梅と森さんとの会話です。

 

津田梅子(広瀬すず)「なかなか変わらない。女性の時間と知恵が必要。

日本の女性を見ていると息苦しくなります。女性たちは恐れています。自分の意見を言うことで

男性に選ばれないのではないか。女性はもっと自由にならないといけないのに」

 

森「自由?」

津田梅子(広瀬すず)「亮だって、本当は結婚したかったんじゃない。留学を1年で帰国して使命を果たせなかった自分に結婚をしないという罰を与えているようでなりませんでした。」

 

森「梅は自由なのか?

家族女学校の教育方針が合わないなら辞めればいい」

 

津田梅子(広瀬すず)「そういうわけにはいきません。家族女学校は国と関わっています。私は国への恩返しをしないといけないのです。」

 

森「考え方に縛られているのは梅の方なんじゃないか?」

 

森様も言葉をすぐには認めたくありませんでした。

明治22年。大日本帝国憲法が発足。

 

 

津田梅子(広瀬すず)の気持ち

スポンサードリンク

津田梅子(広瀬すず)「やめない理由は、お給料が高くて地位があるからよ。それがないと不安になる

この国は結婚していない女性が暮らすのは難しいから、だからやめられなかった。

全然自由じゃなった。これからどうやって女子教育に関わっていけばいいのかわからなくなった。

ただ国に恩返しをしないといけないという考えに縛られていただけかもしれない。

私、一度教師の仕事から離れてみようと思う。もう一度、学びたい。」

 

 

津田梅子(広瀬すず)「私、留学することにしました。私ずっとアメリカの大学に行きたいと思っていました」

 

周りの人たちが、津田梅子(広瀬すず)が留学できるように計らいをしてくれたのです。

 

津田梅子(広瀬すず)「日本の女性が誰もやったことがないことです。」

 

女子教育に熱心な場所で学ぶことで3年間生物学の勉強に没頭したのです。

 

明治33年秋。36歳で塾長で

女子のための専門学校を開いた。

未来の女性たちへの恩返しです。性別や立場が何であってもいくつであっても意志さえあれば、いつでも学べるのです。自分の頭で考え自分自身で選択する力をつけ、行動しましょう

当たり前とか常識にとらわれないでください自分の人生は自分自身にしか決められないのです

仲間と共に人生を作り上げていくのです。

 

 

津田梅子(広瀬すず)の最後の言葉

ストーン グッドナイト

昨夜は嵐

 

スポンサードリンク

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です